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2011年7月5日火曜日

復興土地利用の前提条件に関し、政府に提言
 
 
 
 7月3日、6回目の東北視察。宮古市から八戸市まで一日かけて走った。大震災後 100 日余り、ようやく被災地域をひと通り歩いたことになる。
 三ヶ月経って、まだまだ痛々しい被災の跡が目立つものの、大津波の爪痕もかなり癒え、復興の兆しが見えてきたように感じる。宮古の市街地と言えば、長大な堤防を乗越えてどっと流れ込んだ黒い海水が、市役所前の国道の歩道橋の下をクルマを巻き込みながら濁流となって奔る、そんな情景が眼に焼き付いている。しかし今は、沿道の建物群に被災の跡が生々しく残るものの、ガレキもほぼ片付いて、幹線道路は普通にクルマの列も出来ている。まだまだ復興には様々な困難が残されているはずだが、あちこちで建物の修繕も始まっていて、さあ、これからだと言う地元の人々の心意気が伝わってくる景色だ。
 重茂半島 姉吉地区を訪ねた。 1933 年の昭和三陸大津波の後、ここに集落移転した先人達が海抜約 60m の場所に石碑を建て、再び被災しないよう子孫に警告している。今回の津波もこの石碑のすぐ下まで押し寄せて止まった。浜からそこまで山肌は削り取られ、岩肌がむき出しになってその激しさが想像される。坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。重茂の本村はより大きな集落だが、漁協センター等の施設もろとも、やはり高地に移転している。子孫を守った先人の知恵と決断、実行力に脱帽。こうした先例にぜひ学びたい。
 巨大な防波堤で有名な田老地区は大堤防のみを残してすべて破壊された。被害は甚大であり、ガレキ等はほとんどなくなったものの、マチを同じ形に復旧することは考えられないことだろう。
 ここから青森県八戸市までどの地区も被災しているが、その程度がいくらか小さいように感じられるのは、県南に較べて相対的に津波の規模が小さかったのと、どこも巨大な防潮堤を備えていて、一定の防災効果を発揮したこともありそうだ。
 そのため復旧はより進んでいるように感じられるが、とにかくそのペースを少しでも早めていきたいと思う。
 今日5日、松本復興相が舌禍により辞任。2日夜の新幹線の移動の車中で大臣と遭遇。復興のありかたに関してしばし意見を交わした直後のことであり驚いた。ともかくも僅か9日での辞任は残念である。
 本日、政府に対し、ビジョンチームとして復興土地利用の前提条件整理に関する提言を行った(民主党 HP 参照(別画面が開きます))。引き続き、土地利用再編について提言すべく、作業を進めたい。